第一章 コンピュータシミュレーションによるまちづくり教育


第2節 コンピュータを利用した教育

(1)CAI、CAL3)

 CAIとはComputer Assisted(Aided) Instructionの略で、日本では一般的にコンピュータ支援教育と呼ばれている。コンピュータの持つ様々な機能を利用しながら、学習者が自分の能力に応じ、自分のペースで納得しながら学習を進めていく方式である。CAIは学力差がつきやすい算数・数学や外国語などに特に利用されることが多く、その場合に使用されるソフトウェアは学習内容を理解することを主としたものが多かった。しかし、このCAIはコンピュータを人間の教師の代わりとして学習する体系を取る形に近くなるので、効率性を重視してきた従来の教育と何ら代わりのないものとして指摘されており、ヨーロッパ等ではCALの方が主流となっている。CAL(Computer Assisted Learning)は、従来のCAIが教授(instruction)という上から押しつける感が強い、ということで学習者の立場、すなわち学習(learning)を中心とするべき、として生まれたコンピュータ支援学習のことである。日本ではCAIとして行ってはいるが、新しい学力観の育成を計るために、内容的には生徒達が主体的に考え、行動を起こすような学習を呼び起こす活動となりつつある。その具体的な利用は、自己表現やシミュレーション、情報検索などが主流となり、子どもが主体的に学び、情報を発信するための道具として使われるようになってきたのである。コンピュータがただの計算するための機械から、様々な物を複合的に処理できるツールへと変わったのは、ハード、ソフト面での技術開発の賜物であるといえる。

 しかし一方で、CAIなどのコンピュータ利用教育に諸手をあげて喜べないという意見があるのも事実である。平成15年度から高校に「情報」という科目が導入されることになっているが、今や小学生でもインターネットを通じて違法行為が簡単に出来ることを考えると、教師側の教育は一時期に比べ進んではいるものの、情報科教育が生む産物についての考慮はまだまだ熟慮すべき必要のある点であると言える。


(2)インターネットを利用した教育

 インターネット自体の説明はもはや必要ないと思うが、近年、従来のような教室内だけで行われたコンピュータ教育をインターネットが変えようとしている。

 情報技術の進歩によりコンピュータ利用者が増加し、来るべき高度情報化社会に備えて2001年までにすべての学校をインターネット接続するという学校へのインターネットの導入が、単なる教育改革ではなく情報化、国際化を目指す21世紀の日本の国策として取り上げられて来るようになって来ているのである。それはそれほどまでに多くの人が使い、大きな可能性を持っているということの裏付けでもある。インターネットは一度手順さえ覚えてしまえば比較的単純な作業で、子供でも欲しいと思う情報を即座に手に入れることが出来るのである。確かにセキュリティやモラル等、高度に複雑化した問題は数知れないが、世界中と繋がり、(制限の範囲内ではあるものの)自分の思うままに行動できるという利点は他のどんな物よりも魅力的で、且つ大きな可能性を持つのである。

 この点は学習においても大きな効果をもたらす。従来のコンピュータ教育よりも変化したといっても、あくまでも用意された答えの中から答えを探す、という知識獲得の為の利用であったのは否めない。インターネットでもそのような利用が可能であるが、それ以上にインターネットの自由性を考えると、学生の側が自由に自分の知りたいことを学習できるようになるといえるのである。確かに、授業中にアダルトサイトのようなまったく無関係なものを見られることもあるかもしれないが、そのような点は教師がフォローすべきであって、コンピュータ利用の負の点とはいえない。むしろ、その自由性をうまく活かしてやることが、自らが学習するということを教える−すなわち教育なのではないのだろうか。教育者中心の物から生徒中心になるだけでは教育とはいえないのである。いかに学習意欲を高めさせ、自らが主体的に行動するようにできるかが、その生徒達の創造性、主体性を育てる鍵になるのであり、これから益々急速に展開する社会には必要な人材の基本的要素となるのである。

 また、インターネットは情報を手に入れるだけではなく、子供でも自らが自由に情報を発信できるという特殊性を持っている。これは従来のような一方通行的なビデオ、文献といった類の教材にはないもので、様々な効果が期待できる。もちろん、従来のような教材の良い点などを踏まえてこれからも利用していくことは必要であるが、TPOに合わせた教育利用を考えるのがこれからの教育になるといえる。教師自体が教育の主題をこのような物にすることは、従来のような勉強させるために試験をするという形を変えていくこともあるのである。しかし、現状ではまだまだ議論の余地のある問題であるので、安易に導入することだけは避けたい。

 インターネットの全ての点に言えることだが、大きな可能性を持つ分そのリスクも大きい。その点を教師自体が考え、教師同士で共有し、かつ新しい教育の形を作っていく必要があると思われる。また、その共有の場として、インターネットを使うといった事も可能であり、まったく見ず知らずの教師同士でも情報のやりとりが出来るということを体感することも必要であろう。

 学校だけではなく、多くの人がインターネットを利用して知りたい情報を手に入れている。それは新製品情報であったり、ダイエットの方法であったりと様々であるが何よりも自分が知りたい情報を手に入れ、知識獲得する、という作業には例えどんなことでも学習効果があるといわざるを得ない。確かにインターネットだけではすべて学ぶことは出来ないが、そういった意味でもインターネット教育が普及するのは教育と学習をもう一度考え直すために生まれてきたようにも感じる。また、インターネットによりにわかに遠隔教育の動きが大きくなっているが、教育の体系として考えるならば教育の根本から問いたださなければならないだろう。インターネットが単なる情報獲得のためではなく、ユーザーが行う新たな学習体系の確立を目指さなければならないという点はまちづくり教育と重なる点とも言える。


(3)ゲーミングシミュレーション

ゲーミングシミュレーションとは
 ゲーミングシミュレーションとは、ゲーム的側面を持つシミュレーションとして扱われ、一般のシミュレーションゲームと区別して使われることが多い。英語ではSimulation & Gamingと呼ばれるのでシミュレーション&ゲーミングとすることもある。明確な定義が存在する訳ではなく研究者自身の定義が必要とされている4)。その為かシミュレーションとは何なのか、ゲーミングとは何なのか、ロールプレイとはどう違うのか、などのような質問がなされることが多いようである。しかし、ここでそれを語るのは本意にそぐわないので、様々な意見はあるがC.S.Greenblatの「ゲーミングシミュレーションは、シミュレートされた文脈の中にゲーム活動を取り込んだハイブリッドな形式なのである」5)という定義を借りて、これを元に進めていくことにする。これはゲームとシミュレーションは共通点も相違点も持つといった点からのGreenblat流の定義付けといえる。

ゲーミングシミュレーションの教育性
 古来より、シミュレーションは教育目的で利用されることが多く、実際の戦場でのシミュレーションなどその数は計り知れない。この目的は、予行練習や予想確認のために行うことだけではなく、そのプロセスを通して未来の予知をする事を目的としている。必ずしもその結果が正しいとは限らないが、仮想的な経験を元に対処法を考え出すという人間の本質的思考の一つであり、それを個人の内だけでなく集団のものとし研究活用した物がシミュレーション教育なのである。特にシミュレーションは戦争や経営など、大きな利益の算出や大きな危険の回避予測手段としても行われた。Greenblatによるとゲーミングシミュレーションの教育目的は主に@動機付けと興味付け、A教育(情報の提供や情報の強化)、B技能開発、C態度変容、D自己・他者による評価、の5つに分けられるとしている。都市計画のゲーミングシミュレーションも存在することからも、これをまちづくり教育にも対応させることが可能と言える。Greenblatは、ゲーミングシミュレーションは必ずしも全てに有効な教育手法というわけではなく、ロールプレイといったような他の技法と連携して効果を発揮するもので、教師やトレーナーがすでに持つ技法の「道具箱」に補充すべきであるとしている。このゲーミングシミュレーションの目的と、他との関連性という効果からまちづくり教育に用いる事も十分に可能であると言える。

コンピュータシミュレーションの登場
 前述したように、元々シミュレーションとは軍事用の練習の一環であったのが、コンピュータに組み込まれてからというもののウォーシミュレーションという方向で大衆化していく流れと、原子炉操作やフライトシミュレーター、経営シミュレーションのように模擬訓練として専門分野への応用されていく流れの二極化が進んだ。しかし、近年では「シミュレーションゲーム=ウォーシミュレーション」というイメージも崩されシミュレーションという境界も曖昧になりつつある。それはゲーム文化の発達により現実世界(もしくは非現実世界)のシミュレーションを再定義する流れが生まれたこともあり、フライトシミュレーターやロボットシミュレーターなど、従来のような戦略的シミュレーション以外の物もシミュレーションゲームとして定着するようになる。SimCity、SimEarth*、Populous*などの登場がそれを加速させたといっても過言ではない。この変遷はチェス、囲碁、ピンボールゲームのように、コンピューターゲームはもともと現実世界をシミュレートすることから始まったということを考えれば、独自の変化を遂げたとはいえシミュレーションといつかは交わる必然だったのかもしれない。また、ハード・ソフトの能力向上と、対象とする範囲の拡大により、現実世界の模倣をしたゲームやリアリティを追求したシミュレーションゲームが登場するような流れも登場しているように、現在のシミュレーションはそれほどまでに複雑な事象のモデル化に成功しており、且つ身近な物になっている。

 このようにゲーミングシミュレーションとシミュレーションゲームの違いも曖昧になりつつある昨今ではあるが、ある事象を対象としたゲームとして開発されたものをシミュレーションゲーム、ある目的のシミュレーションをするためにゲーム理論を用いたものがゲーミングシミュレーションというのが一般的であるが、この流れもヴァーチャルリアリティとあいまってどう変化するかはわからない。

 シミュレーションの範囲拡大は生活への浸透とそれを受け入れる土壌が育まれているということができ、これからはゲーミングシミュレーションというものが新しい形に変化してまちづくりに入っていくことが考えられる。
*SimEarth・・・惑星は一つの生命体であるというガイア仮説に基づき、プレイヤーが惑星の生物や大気、地核などをコントロールするシミュレーションゲーム。
*Populous・・・プレイヤーが神となって土地を変えたり天変地異を起こして人々の世界征服を手助けするシミュレーションゲーム。
3) コンピュータ教育開発センター 監修『コンピュータ教育標準用語事典』アスキー,1989
4) 新井潔・兼田敏之・加藤文俊・中村美枝子 著 高木晴夫・木嶋恭一 監修 出口弘 監修・著『ゲーミング・シミュレーション』日技科連出版社,1998
5) Cathy Stein Greenblat 著 新井潔・兼田敏之 訳『ゲーミング・シミュレーション作法』共立出版,1994
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