[#033]
 なぜSimCityからダムが消えたか
(03/04/10)
 SimCityには2000のみ「ダム」の存在があったが、その後のシリーズに登場することはない。

 そもそも、SimCity 2000に登場するダムは「水力発電所」として存在し、治水的意味合いはまったくと言っていいほど持っていないのでダムのイメージがすっぽり当てはまるものではない。作りとしては、SimCity 2000から導入された「高さ」の概念により生じた「坂」の部分に(これも新しい概念)水タイルを設置することで「滝」が作られるので、その上に設置できるのがダムである水力発電所、というわけです(下図参照)。
水タイルを置くと滝のようになる
その上に置くことで出来るダム

 ダムはあくまでも「堰きとめる」ものだが、SimCity 2000に用いられているダムは、別にあってもなくても水の流れに影響を及ぼすこともなく(そもそも流れの概念がない。後述)、ダム湖のようなものが作られるわけではないが、見た目がダムなのでダムとして考える。ちなみに日本では高さ15m以下のものを「堰」というが、これもダムである。ちなみに、SimCity 2000のダムは高さが50フィート(15.25m)となっているが、繋げることによって本物のように200mぐらいのものも作ることが可能である(ただし見た目が・・・)。
 
 このSimCity 2000のダムは見たとおり、外側に見えている面が斜めに切り立った形の「重力式コンクリートダム」であると思われる。が、SimCityの水の概念から(こちらを参照)下図のような形になっている。
本来は川をせき止めて水を
貯める為図1のような形
しかしSimCity 2000では図2のような土地に
    図3のような感じで設置する

図1

図2

図3

 ここから見ても、SimCity 2000のダムがなんちゃってダムであることはわかるのだが、水の流れや循環がシミュレートされないSimCityでは仕方のないことかもしれない。 

 アメリカではダム湖自体に「レクリエーション」的な存在である意味を持たせることがあるから(下表参照)、このような「水を置いてダム湖を作る」方法をとっているのかもしれない。
 
参考:ダムの建設目的(高さ30m以上のダム) 単位(%)
用途 インド 日本 アメリカ
灌漑 45 43 29
発電 22 45 31
洪水防止 4 43 36
給水 9 25 40
レクリエーション 0 0 44
船舶航行 0 0 4
出所:World Register of Dams, full edition, ICOLD, Paris 1984
(「沈黙の川」パトリック・マッカリーよりの転載)

 アメリカの多目的ダムには、このようにダム湖にレクリエーションをも「目的」としたダムがあり、ボートやフィッシング、観光などで賑わうダムがあるらしいく、それは「水」があまり親しめない砂漠地帯のオアシス的存在として、というのが強いようだ(もちろん、国民がスポーツ好きだからと言うのもあるだろうが)。日本ではダムの公園や資料館的なものを置いているダムが一般的なイメージかもしれないが、レクリエーションを「目的」として持つダムもいくつか建設されてきている。
 この「レクリエーション目的」というのはダム擁護派の正当化であるかどうかというのはさておき、SimCityにおけるなんちゃってダムが水資源という観点からではなく、水利用という観点からきている可能性が強いことがわかる。



 しかしこれでは、なぜSimCity 2000のみ「滝」と「水力発電(ダム)」が登場して、それ以降のシリーズには登場しないかを説明することはできない。そこで実際のアメリカの水力発電(ダム)事情を探るわけだが、まずはダム自体の歴史から回顧してみよう。

 ダムというと、水の流量を調節するために川をせき止めたりして谷部分に水を貯めるというものを浮かべるが、これはその歴史も深く、エジプトやメソポタミア文明の時期にも作られたという。もちろんそれは、農業用水や家畜用水の他、水道用水などに使われるのだが、古来よりその堰を切って洪水が起きるなどの悪影響がつきまとってきた。それを克服しようという技術を開発してきたのは言うまでもない。日本に限らず、堰やため池と言う形で古くから「給水」「洪水防止」「灌漑」のためのダムが残っている。
 さらに、近代に入るとダムが流量調節機能の他、「発電」の機能が付加されることにより、コンクリート技術の進歩と電気技術の進歩により、電力の供給源として大きな役割を持つようになった。この頃は原子力発電所がないので、水力発電所は火力(石炭)発電所と並ぶ重要なエネルギー供給源だった。

 発電用のダムは、水の位置エネルギー(重力)によってタービンを回して発電するものであるというのは周知の事実ですが、送電技術のよくなかった19世紀末〜20世紀前半には送電によるロス等を考慮し、発電所の近くに(アルミニウム工場等の)大きな工場施設を建設するという形で、「産業」のために欠かせない存在となっていた。日本でも数多くの発電用ダムが建設され、工業化を急激に促進させることに成功しました。
 アメリカでも同じような物で(日本はアメリカに学んだから当然だが)、日本より早い時期からダムを利用した産業化を進めた。もっとも、アメリカの(特に)西部の場合、農業灌漑用水のために作られたダムもいくつかあるが、それは砂漠に水と電気を供給するためであった。教科書でもおなじみの「ニューディール政策」の「電力」「雇用」「治水」「灌漑」を供給した例のように、ダム開発は多くのものをもたらす公共事業となる。古来より治水に躍起になる国家は、治水以外の恩恵にすがれるこのダム開発こそが国家を支えるモノだ、として開発に躍起になった。
 

 しかし、現代ではアメリカだけではなく、ヨーロッパなどでも「(特に巨大な)ダムはいらない」という動きが顕著になってきた。市民団体が、というよりも(日本ではそれだけだが)、国の政策としてそのようになってきたのである。それはなぜか?

 ダムは、先ほどもあげたように「洪水防止」の他、「電力」「灌漑」「給水」等をもたらすのだが、それはダムが造られた当時の話であって、必ずしも今それが必要なのか、というような動きが顕著になってきたのである。

 まず「洪水防止」に関して言えば、川も堤防を作り、ダムによって川に流れる流量をコントロールして洪水の時はいち早く海へ出すことによって防ぐ仕組みになっているのだが、放流と豪雨が重なったときなど洪水が発生しやすく(しないようにしてるが)、また、堤防により直線化した川は洪水のスピードを早く、危険な物として、堤防が低いところでは増水や決壊に見舞われることになった。また、堤防を高くすればするほど洪水の逃げ場(湿地などがその役目を果たしていた)が失われ、流量が増大するという皮肉な結果をもたらすことが増えた。堤防とは本来「切れる」ことを前提として作られているので、それを考慮した都市計画をする必要も出てきたのである。アメリカでの治水事業は洪水被害を減少させると言うより、土地利用の価値を高めるという特徴もあるが、これはまさに水害に遭うと決まっている所に人が住むようになった結果がもたらしたことであった。
 日本では「国土が狭い」「急流である」などの理由からか、越流堤※2やスーパー堤防※3という方法で対処しようとしているようである。堤防は本来川が洪水時に土砂を運んで作った「自然堤防」を人が改良してきたことを考えると、土木技術信仰は続いているようである。

 次に「電力」だが、現代において電源として水力発電、というのは建設にかかる費用や、立地場所が地形上のものに左右されるため、これ以上開発する場所がない or しても他の発電の方が安上がりになる、という点もある。

 また、「給水」に関して言うならば、産業構造の変化や人口増加の逓減化により、従来のように水需要が劇的に増えていくような感じではなくなってきたことがあげられる。ダムには、水を安定して供給するという目的もあるが、アメリカの場合はダムの規模が大きいせいもあり一人あたりの水は日本のそれよりははるかに多いから、これ以上必要ではない、という考えがないこともない。

 そして「灌漑」について言うならば、ダムを造ることによって本来水を流す必要のなかった土壌に水を供給することにより、岩石等に含まれる塩が土壌を塩害化し、ダメにしてしたり、その対策費用(脱塩施設など)もずいぶんかかるようになってしまったという問題が上げられている。河川流域の土壌に地下水として浸透する水が減ってしまったことも問題視されているようである。



上流の水によって流されてきた土砂が
下流に行かずダムで止められる為発生
 それに「施設」としてダムを見た場合、川という物は土砂を運ぶ物なので、それを止めることにより土砂が溜まり(堆砂、右図)、ダムの貯水量を年を追うごとに低下させるという大きな欠点がある。これは川によって異なるが、一番ひどい例は大量の土砂を運ぶことで有名な黄河上流に作られた三門峡ダムで、稼働して数年で堆砂により使えなくなり、大金をはたいて改修工事をして使えるようにしたが、当初の計画を大幅に下回る貯水量と発電量となった。これは費用という観点から見ても「無駄な」公共事業に属するともいえる(これはホントにひどい例だが)。
 堆砂は大体100年を見越して作られており、堆砂を流す仕組みを持つダムも増えているが、これはダムの宿命でもあるため、完全に処理できるわけではない。そういう意味ではダムは半永久でもない(ちなみにSimCity 2000のダムは永久に壊れない)。

 また、水力発電所は「クリーンで半永久的に使える」という触れ込みで使われていることもあるが、実際は空気中に排出する汚染物質はないが、河川や周辺の生態系を破壊し、ダムの底に近い部分に滞留した「死水」と呼ばれる生物にとって厳しい水があり、森林源(保護もするが)を水に埋めるわけだから、本当の意味でのクリーンではもちろんない。先ほど上げたような「塩害」や「洪水」を引き起こす原因となってしまえばクリーンかどうかは本当にわからない。が、SimCity 2000的な感覚からいえばクリーンであるとすることが出来る。
 すべて対策を図ってはいるが、根本的な物なので完全にクリアは出来ていない(出来るとも思っていないのが普通ですが)。

 これら以上にあるのは、過剰とも言える水資源開発の公共事業への反省と、浸透してきた環境保護・生態系保護への配慮、総合的な洪水対策の観点からである。
 総合的な洪水対策というのは、ダムや堤防は「予期せぬ」洪水時には役に立たないばかりか、逆に洪水による被害を増大させることになったことを受けて、ダムや堤防などの構造物による洪水調節から「危険な場所の土地利用規制」「避難対策」「洪水保険の推奨(政府は金がないから個人でやってくれと言ったらしい)」等の総合的な方法で、自然と向かい合って生活するという方向にシフトしたことを表している。都市計画や公共交通でもそうだったが、「総合的」というのが一種のキーワードなのかもしれない。


 アメリカでは1993年にミシシッピ川の氾濫が発生したからそういう動きが活発になったとも言われているが、それはそれ以前からそういう動きがあった流れの中で発生してきたことであり、このような動きは何もアメリカだけではなくインド・中国・インドネシアそして日本でも存在しているという。科学が神だと信じた過去の妄想にのっとって進む開発・・・・・・・・しかし、行き着いた先は「自然の支配などできないのだ」ということだった。一面的に見ればダムは水をコントロールしているかのように見えるが、費用や環境、下流への影響(農業・漁業)、時代の変化などの違う方向から見たら必ずしもよいものだとは言えないと判断されてしまったのである。

 もちろん、完全な悪者扱いではないのは言うまでもないが、本当にダムが有効的に使われないような開発には待ったがかかるようになったのである。
 アメリカではダムの見方を変えて、これ以上ダムを開発せず、所によっては解体、と言う動きがあるという。もちろん、(大型ではないダムの)開発をするところもあるようだが、もうダムというものが「作るもの」ではなく、「ある」ものになったから、(おそらく1995年以降の思想からきている)SimCity 3000からダムは消えたと考えるのが妥当ではないだろうか、とも思えてくる。

 それだったら石炭だってそうじゃないか、とも思えるが、もう一つ可能性としてあるモノは、ダムそのものよりSimCity内で水の流れが存在しないことによる大きな矛盾が嘘っぽさを加味してしまったから消えたのかもしれないし、洪水のメカニズムが複雑だったというのもあるかもしれない。

ビアード総裁の「持続可能な水資源管理」発言
 
 アメリカのダム開発は主に陸軍工兵隊や内務省開墾局(主に西部の水資源開発)によって行われるが、この開墾局の(当時)総裁だったダニエル・P・ビアード総裁は、各地での公演で「避けがたい結論」としてこう述べたという。
 
「合衆国ではダム建設の時代は終わった」

 氏の言うところでは、アメリカでダム開発の流れが変わってきたのは、以下のような要因が大きく関わってきたからだという。
  1. アメリカの経済の現実
     受益者が負担する仕組みをとっていたのに関わらずそれが期待できず、逆に補助金を提供しなければならなくなっていたほどになっていた。また、インフレによりコストと見積もりのバランスがあわなくなった。
  2. アメリカの社会の現実
     USBRが主にダム開発をする西部の農業に焦点を当てたダム開発は、増加する都市住民に対応できず、反感を買うことにもなった。また、大きくなった環境保護意識への対応が求められる様になった。
  3. 事業運営の現実
     大型施設の設置により生じた二次コスト─土壌の塩害、漁業の衰退や消滅、貴重な湿地の消滅、先住民族文化の破壊、農業汚染、ダムの安全性などの為にかかる費用─がダム開発の副産物であることが身にしみた。
  4. 環境コスト
     過去の事業計画に置いて、土木工学と経済分析による評価だけが重視されており、生態学的、文化的要素が排除されて評価されていたが、国家環境政策法などの法律により、そういったことを考慮せざるを得なくなった。
  5. 新しい代替手段
     ダムは実施運営コストや環境コストが他に出現した技術よりも高くつくことがわかり、また、水の価格が給水配分の決定に役立つこと、環境保護計画を全面的に組み込んだ多目的水資源管理により、水需要管理と節水を重視するようになった。
 このことからも、意欲的にダム開発をやめようとしたのではなく、やめざるを得ない状況・環境になってきたから変化していると言うことがわかるだろう。大規模なプロジェクトは市民が同意しなくなっているという現状がそれをさらに加速させているようである。もちろん、まだ建設途中の物もあるが、今後は(まったくとはいわないが)開発されないようになっていくだろう、とのことである。
 また氏によると、今後は「データ収集の改良」「水分モデルの作成」「地理情報システム」などの技術を利用した総合的水資源管理に取り組むと言うことだ。

 このように、アメリカでは(ひどすぎた)過去の反省に基づき、その「非」を認め、対策をするべき状況になったわけです。アメリカの大型ダムは日本の全部のダムの貯水量も倍近くある物もあったりするので、その影響がこれまた大規模だったという問題もあるのですが、やはり一次元的な評価では時代が許さなくなってきていると言うのがあるようです。

 ビアード氏は「水資源開発をし終えたからそう言えるのだ」という批判に対してこう述べているようです─「アメリカであれ、日本であれ、途上国であれ、水資源の専門家としての私たちの課題は、『今日の技術を今日の問題に応用すること』であり、技術でも社会の必要の把握についても常に第一線にいることなのです」─と。
 


※重力式コンクリートダム・・・コンクリートの重さにより水の圧力を支えるという、ダム開発初期から用いられている一般的なダム。コンクリートの中心が空っぽの中空重力式コンクリートダムもこの種類に属す。重力式ダムの他にはアーチ式ダム(黒部ダムが有名)、フィルダムなどがある。[参照 ダムの種類(鹿島 建設博物誌)]
※2越流堤・・・一部の堤防を低くして、そこからあふれ出た洪水を調整池などに流し込む構造を持つ堤防。
※3スーパー堤防・・・幅が200〜300mぐらいある人工台地を造成した形の堤防で、裏法面がゆるやかになっており、その上に住宅を建設したり、緑地にしたりする。別名高規格堤防。[参照 荒川の防災情報(ARA)]

参考文献:「アメリカはなぜダム開発をやめたのか」「河川と人間」「川と開発を考える−ダム建設の時代は終わったか−」「洪水とアメリカ−ミシシッピ川の氾濫源管理 1993年ミシシッピ川大洪水を考える−」「砂漠のキャデラック−アメリカの水資源開発−」「ダムと日本」「ダムはムダ」「沈黙の川−ダムと人権・環境問題−」

参考Webサイト:
 国土交通省河川局
 国土交通省中部地方整備局
 鹿島 建設博物誌
 ダム無用論を憂う(日刊建設工業新聞)
 
[戻る]